優越感と劣等感にさいなまれる
教員になってつらいこともありましたが15年くらいはそれなりに元気にやってました。
大学を卒業して初めて受けた採用試験。無事に一次試験に受かりました。
失敗したのは、二次の面接試験の前日です。
友達とお祝いと称して飲みに行ってしまいました。
そうなると、スイッチが入り朝まで飲んでしまったのです。
ハイでした。
少し仮眠して着替えて面接です。
おなかの調子が悪くなってきました。
面接場所は、女子高等学校なので男子トイレがありません。・・・・
係りの方に聞いて何とか職員トイレで運を落としてしまいました。
面接でお酒臭かったのか、返事が支離滅裂だったのか分かりませんが、見事に落ちました。
カルビーでアルバイトです。
でもそれはそれで、前向きでした。
バイトの方々からは大学でて、この仕事は大変ねなどといわれながらもかわいがられていました。
1っか1月やったところで、臨時採用の口があり、11か月教員ができました。
次の年は無事に受かり正式採用です。
当時の学校は金八先生がはやったころで、大変荒れていました。
タバコやシンナーが有りありのころです。
しかしながら、結構楽しくやってました。
飲み会も楽しくそれが元気の源でした。
けっこう陽気に飲んでいました。このころから、アルコールで軽躁になっていたのかもしれません。
うつとは言えないかもしれませんが、3年の担任の後半になると気分が悪い日が続くことがありました。
白髪も少し増えてきます。
でも、卒業させると気分も頭髪も戻ります。
三年周期に訪れてきました。
もしかすると、このころから双極性障害の片鱗があったのかもしれません。
抗うつ剤などを飲むこともありませんでした。
このころの気持ちの背景には優越感があったような気がします。
学校にパソコンが導入され始まったころだったためです。
私はパソコンを大学から使っていたので、周りの先生よりもスキルが高かったのです。
いろんな仕事や先生方のお手伝いは楽しく優越感がありました。
そのことで、困難を乗り越えました。
はっきりとうつが出たのは、2回目の異動の後です。
大学の付属中学校への異動の相談をもらいました。
校長からは、名誉なことだから断らないようにと言われました。
私も優越感があったので、受けてしまいました。
しかしそれが、うつの始まりです。
仕事はそれほどつらくはなかったのですが、毎年1回県内の先生方に授業を公開します。
数年後には、ネタが尽きてしまい毎回悩む日々でした。
また、付属の理科の先生は県の理科部会の事務局なのですが、たまたま16年に一回の関東ブロックの事務局長にもいきなりなってしまいました。
公開研究会と関東ブロックでヘロヘロでした。
でも当時の校長がいろいろ支えてくれて、何とか無事にやることができました。
自分なんかが関東の事務局なんてできる立場じゃないという思いと、何とか出来たという思いが複雑に絡んでいました。
アドラー心理学では優越感と劣等感は表裏一体というものがあります。
まさにこのことなんだと思います。
附属中学校の最後の年には、行きつけの病院で精神安定剤をもらうようになりました。
このころから、自分にはうつがあるのかなと思うことがありました。
ひどくなったのは、そのあとの異動で教育委員会に入ってからです。
この時も打診をもらい、自分には向いていないと思いながら、変な優越感があり異動を受けてしまいました。
今思えばこの決断が今の自分を形成したのかもしれません。・・・
異動したその日から登校拒否気味です。
今までやっていた仕事と全く違うので、戸惑うばかり。
周りはとても優秀な賛成に見えています。
この時は重い劣等感にさいなまれていました。
少しづつ仕事に慣れては来ましたが、重い仕事が来ると結構長い期間気分が低下するのです。
医者を変えて心療内科の先生に相談しました。
でも、薬が効いているという実感を得ることはなかったです。
飲んでいることで仕事ができるんだと言い聞かせたはいました。
仕事を休むような思いが出るのは月曜日の朝くらいです。
数回ほど、遅刻や休んでしまうことがありました。
土日はもしかするとうつ状態っだったのかもしれません。
ひたすら寝ていました。昼間も寝ているだけです。
エネルギー充電だと考えていました。
そんな状態ながらも、一つの大きな仕事が終わると気が大きくなり、飲み会などでははしゃいでいる自分がありました。
まだ、双極性障害の診断はありません。
うつ病の診断で降雨流罪と気分安定剤、時に眠剤を処方されていました。
12年くらいは気分障害、うつ病と言われていました。
そんな長いうつの時代が双極性障害をあっかさせたのかもしれませね。