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中学校の校長がうつで休職後早期退職

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今回初めて自分の職業を明らかにすることができました

  何故なら、今年の春に定年退職の歳を迎えたこと、そして自分なりにそう極性障害を受け入れられたことができたからと思います。

  今は軽いそう状態なので、このブログを書けているのかもしれません。また、うつに変わったらこのページを消してしまうのかも。

  私が校長になったのは、今から5年前の2015年です。1年間小学校の校長を勤め、教育委員会に2年間、その後中学校の校長を勤めているときに重いうつで休職しました。

  うつになったのが2月なので、まわりに迷惑にならないよう、休職するという急いでの決断でした。よく考えれば違う判断もできたのかもしれません。

  その時はこの状態から早く逃げ出したいという一心でした。

  医者は迷惑をかけても良くなるまでの期間にした方がいいというアドバイスでした。

  でも、自分でもわかったつもりではいたのに、思いきった決断をしてしまいました。

  うつ転した原因の一つは、その年度の暮れの忘年会でちょっと飲みすぎて、やらかしてしまったことからだと思います。その内容は書けるようになったら書きたいと思います。すみません。

  その事で、誰かは分からないのですが、市の教育委員会に投書がいったのです。私は、教育委員会に呼び出され説明を受けました。失敗したことは正直に謝り、事なきを得ました。

  匿名の投書なので、それですんだのでしよう。その後しばらくは普通に過ごしました。  

  2月になると、教員評価の時期です。この事が私の心を悩ませました。私が評価する先生の誰かが投書したと考えたら、評価できないとの思いになったのです。

  その頃から。少しずつ憂鬱になってきました。評価は無事に提出できたのですが、半分うつ状態です。数日間悩んだ結果、突然なぜか教育委員会に電話をしていました。

  そこで話したことは、今なら1年休職すれば替わりの校長をつけることができるということでした。異動の作業の終盤だったのでしょう。直ぐに決断してほしいとのことなので、頭には一年休職しかないという感じです。

  今の状態から逃げ出したいということだけが、強く意識されていたのですね。

  妻に相談したら、やめてもなんとか暮らせるとのことなので、あっという間に決めてしまいました。

  一年後にどうするかなどは、考えにも及びませんでした。

  結果的には、1年間休職したあと2年残して早期退職しました。

  その3年間は、仕事からのストレスがないはずなのに、休職後退職してしまった自分を素直に受け止められず、うつと軽そう状態を繰り返す日々が続きました。

  つい1週間前までは、このブログを更新することができないくらい、うつで寝込んでいました。

  そう転したので、こんなことを書いているのだと思います。

  ネットを見ると、校長のパワハラで教員がうつになった話はたくさんあります。でも、校長がうつになることもあるんです。

  もしかすると、校長職は孤独な立場なのでいろいろ悩んでいる方もいるのかと思います。文科省の発表を見ると、降格人事を希望する管理職が全国に少なからずいると書いてあります。

  今思えば、降格して定年までまっとうするという判断もあったかと思います。その時は思いもしませんでした。

  一般には、うつ状態の時に重い決断はするなと言われていますが、その通りだと思います。何を言われても、まわりに迷惑をかけることがあっても、病気なのですから仕方がないのだと考えて下さい。

  私の失敗の経験から学んだことが、誰かの心の支えになればと思います。

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